【人生100年時代の食を楽しむ】しば漬けの歴史に秘められた、切ない物語(丸越・漬物礼賛より)

人生100年時代。長い人生後半(定年後、老後)は、毎日のお食事にもこだわって楽しみたいものです。ここでは御漬物に関する様々な情報をお届けする丸越制作フリーペーパー「漬物礼賛」をもとに記事を配信します。今回のテーマは「しば漬け」です。
2019/03/26

京都府・悲しい誕生の歴史

桜の寂光院(京都大原)

京都を代表する漬物の一つ、しば漬け。

 

胡瓜や茄子、茗荷などを紫蘇漬けした紫色の漬物は、悲しい歴史から生まれました。

 

平安時代末期、源氏と平家が戦い、1185年、壇ノ浦の戦いにて平家が滅亡しました。

 

当時、平清盛の娘、建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)は、高倉天皇に嫁いだ皇后の立場でした。

 

建礼門院は自身の息子、安徳天皇と母・時子(平清盛の妻)と3人で壇ノ浦の海へ入水したのです。

 

安徳天皇はすぐに溺れ亡くなり、建礼門院は帝の皇后であったことから、敵方の源氏に助けられ、都へ送られました。

 

その後、建礼門院は尼となり、都から離れた大原にある尼寺・寂光院に身を寄せます。

 

余生は滅亡した平家と、亡き我が子を思いながら一人寂しく過ごしたと言われています。

 

大原の人々は、かつて皇后だった建礼門院に、都の華やかな日々を思い出していただくため考えました。

 

大原は古くから赤紫蘇の産地で、保存食として作られてきた、赤紫蘇を使って漬物を献上したところ、建礼門院は大変喜び、紫葉(むらさきは)漬けと名付けられました。

 

今では紫葉(しば)漬けの名が定着したようです。

寂光院(京都大原) 地図