京都を代表する漬物の一つ、しば漬け。
胡瓜や茄子、茗荷などを紫蘇漬けした紫色の漬物は、悲しい歴史から生まれました。
平安時代末期、源氏と平家が戦い、1185年、壇ノ浦の戦いにて平家が滅亡しました。
当時、平清盛の娘、建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ)は、高倉天皇に嫁いだ皇后の立場でした。
建礼門院は自身の息子、安徳天皇と母・時子(平清盛の妻)と3人で壇ノ浦の海へ入水したのです。
安徳天皇はすぐに溺れ亡くなり、建礼門院は帝の皇后であったことから、敵方の源氏に助けられ、都へ送られました。
その後、建礼門院は尼となり、都から離れた大原にある尼寺・寂光院に身を寄せます。
余生は滅亡した平家と、亡き我が子を思いながら一人寂しく過ごしたと言われています。
大原の人々は、かつて皇后だった建礼門院に、都の華やかな日々を思い出していただくため考えました。
大原は古くから赤紫蘇の産地で、保存食として作られてきた、赤紫蘇を使って漬物を献上したところ、建礼門院は大変喜び、紫葉(むらさきは)漬けと名付けられました。
今では紫葉(しば)漬けの名が定着したようです。