【人生100年時代、趣味を楽しむ】「古代への旅:古墳に行こう!」卑弥呼の墓?それとも皇女の墓?『箸墓古墳』。(AGE100旅行レポート)

人生100年といえども、まだまだ知らないことや、行ったことない場所がたくさんあるというシニアの皆様のために 自ら足を運ばなくとも旅行に言った気分になれる「AGE100旅行レポート」をお届けします。 箸墓古墳は古墳時代の初期に造られた大きな前方後円墳です。この古墳、実は卑弥呼の墓だという説があります。 卑弥呼が治めていた邪馬台国は場所が特定されておらず、いまだに論議の的。古代ロマンのひとつですね。そんな古代に想いをはせながら、ぶらっとお散歩いたしましょう。
2019/05/16

邪馬台国候補地のひとつ!!

箸墓古墳は纒向遺跡(まきむくいせき)の纒向古墳群にあります。

 

纒向遺跡は邪馬台国の候補地のひとつですよ。もし箸墓古墳が卑弥呼の墓だとしたら、ここは邪馬台国かもしれませんね。

 

この周辺は、ヤマト政権発祥の地でした。その大和政権が治めていた大和国(やまとのくに)と邪馬台国(やまたいこく)の読み方が近いということ、そして卑弥呼の鏡といわれている銅鏡の三角縁神獣鏡(さんかくえんしんじゅうきょう)が大和を含む畿内(きない)で多く出土していることから、邪馬台国が畿内にあったという説を有力にしています。

 

もうひとつの有力な候補地は九州ですが、他にも候補地は全国に点在しております。江戸時代の新井白石(あらいはくせき)や本居宣長(もとおりのりなが)ら、そして近年にいたるまで約200年にわたり論議の的になっている邪馬台国。

 

しかし、真相は謎のままです。

群馬県高崎市出土の三角縁同向式神獣鏡(さんかくぶちどうこうしきしんじゅうきょう)です。(東京国立博物館)

纒向遺跡の最寄り駅は、JR奈良駅から桜井線に乗って25分ほどにあるJR巻向駅です。

 

奈良の中心部からは比較的近い場所ですが、電車が1時間に2本程度しかないので時間には気をつけてください。

ホームに降りると、史跡が目の前に広がりますよ。 史跡に立つ木の柱は当時に建てられたいた建物の跡だそうです。

纒向遺跡は巻向駅を中心として南北1,5km、東西2kmに広がる大きな集落だったようです。

 

ホームからは箸墓古墳(はしはかこふん)も見えます。

 

箸墓古墳は駅から約800メートルほど先にありますが、けっこう大きく見えますよ。その規模がよくわかりますね。

後ろにある小高い山のようなものが箸墓古墳です。

箸墓古墳は誰のお墓?

箸墓古墳は全長280mの巨大な前方後円墳。

 

しかし、時が経るごとに雨風などで少しずつかたちを変わり、造られた当時は更にもうひとまわり大きかったのではないかといわれています。

 

造られたのは3世紀中頃といわれており、古墳の中でも最古級です。

2018年9月に撮影した箸墓古墳。箸墓古墳に隣接する池は、溜池の大池です。

周辺一帯が邪馬台国の候補地であること、卑弥呼の鏡といわれる銅鏡が近辺より出土していること、それに加えて『魏志倭人伝』に書かれている卑弥呼の没年が箸墓古墳の造られた年代に近いということで、箸墓古墳の被葬者は卑弥呼ではないかという説があります。

 

そしてもうひとつ、第7代孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓という説も。

 

『日本書紀』にはつぎのような箸墓古墳にまつわる伝説が載せられています。

 

大神神社(おおみわじんじゃ)のご祭神である大物主神(おおものぬしのかみ)は、夜になると妻である倭迹迹日百襲姫命の元に通います。そのお姿を昼に見たいという姫の言葉をききいれた大物主神は「昼は姫の櫛をいれた箱に入っています。

 

もし箱を開けても、けして驚かないで」と言います。朝になり、姫が箱を開けるとそこには一匹の小さい蛇がいたそうです。蛇に驚いた姫が叫んでしまったその瞬間、蛇は人間の姿の大物主神に変わり、約束を破った姫とはもう会えないと三輪山に帰ってしまいました。

 

姫は後悔して座り込み、箸を突きさし亡くなったそうです。

 

宮内庁では箸墓古墳を倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されております。

 

どちらにせよ、被葬者は女性という説が有力のようですね。

2019年3月に撮影した箸墓古墳。大池の水が抜かれた状態。箸中大池は農業用水なので年に一回水抜きされます。

今年の3月3日(日)に開催された桜井市箸中区主催の『箸中ロマン古墳ウォーク』には約130人が参加されたそうです。2月1日の申込受付初日だけでハガキの応募が700通近くあり、最終的には1000通を超えたとか。

 

当日は水を抜いた大池側の周濠を歩いたとのこと。周濠とは古墳のまわりにある堀のことです。普段は入ることの出来ない場所なだけに貴重な体験ですね。

 

是非、今後も続けていただきたいイベントです。

周辺にも古墳がいっぱい!!

箸墓古墳は纒向古墳群の中にあるので、ぐるりと見渡すだけでたくさんの古墳が目に入ってまいります。せっかくなので是非、他の古墳も散策していただきたいところ。その中のいくつかをご紹介いたしますね。

 

ご紹介する古墳以外に、畑や果樹園の中あるものもあるので、訪れる際には作業されている方の邪魔にならないように、そして私有地には入らないようにしましょう。

堂ノ後古墳(どうのうしろこふん)

墳丘は55mを超える5世紀後半に造られた前方後円墳で、土器や鶏形埴輪が出土しています。被葬者は特定されておりませんが、大きさから首長の墓であると考えられています。

 

墳丘は笹でいっぱい。笹でこんもりとコーティングされた可愛いカタチです。

 

笹の間にある小道には案内板がありますよ。

手前の小道があるこんもりした丘が堂ノ後古墳。後ろの小山のように見えるのは箸墓古墳の後円部です。

茶ノ木塚古墳(ちゃのきづかこふん)

5世紀後半に造られたとされている直径約35mの円墳です。蓋形埴輪が出土しております。

高さは1m50cm〜2mくらいでしょうか。平らな古墳です。こちらも時代とともにカタチが変化したのかもしれませんね。

ホケノ山古墳(ほけのやまこふん)

全長約80mの前方後円墳です。古墳が造られたのは3世紀前〜中頃で、箸墓古墳よりも古いといわれております。

 

被葬者は崇神天皇(すじんてんのう)の皇女である豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)という伝承があります。

 

埋葬施設は築造当時に造られた埋葬施設の石囲い木槨(もっかく)と、6世紀末に造られた横穴式石室と2つあり、銅鏡や鉄製の武器・工具、壺などが出土しています。

手前の階段状になっているのがホケノ山古墳です。葺石は復元されたもの。葺石とは古墳の斜面などを覆うように積まれた石のことですよ。 こちらも後ろに見えるのは箸墓古墳です。さすがに古墳群だけあって、箸墓古墳のまわりには古墳でいっぱいです。
ホケノ山古墳の復元された木棺です。埋葬施設がよくわかりますね。

茅原大墓古墳(ちはらおおはかこふん)

全長約86mの前方後円墳、その中でも前方部が短い帆立貝式古墳です。

 

4世紀末頃に造られ、棺の一種である埴輪棺が3基見つかっております。

 

色々な種類の埴輪が出土し、中でも盾持人埴輪が注目されています。

茅原大墓古墳。石垣で5段になっておりますが、耕作にともなって造られた段とのことです。本来は前方部2段、後円部3段だったとのこと。
ホケノ山古墳は墳丘上からの景色が良くて気持ちよいです。遠くに大神神社の鳥居が見えますね。

慶運寺(けいうんじ)の古墳

慶運寺にはふたつの古墳があります。

 

ひとつは慶運寺裏古墳(けいうんじうらこふん)。直径約15mで、6世紀後半に造られたといわれております。

 

後年の開発により形が変わっており、古墳の形は不明ですが円墳と考えられています。古墳の南側にある石室に入ることができるようですよ。

 

もうひとつは慶運寺裏円墳(けいうんじうらえんぷん)。こちらは慶運寺裏古墳よりも少し小さいようです。

慶運寺にある弥勒菩薩が彫られた石棺の身部分。弥勒菩薩が彫られたのは鎌倉時代だそう。

ゆっくりまわりたい古墳群

今回出てきた古墳は前方後円墳、帆立貝式古墳、円墳です。

 

改めて、そのカタチを確認してみましょう。普段はなかなか上から見ることができませんが、上から見るとこんな感じになります。

比較するとこんなかんじです。帆立貝式古墳はコロンとした前方小円墳みたいで可愛いですね。

古墳にはあわせて15種類ほどカタチの種類があります。カタチによって身分や階級が違うそうです。使い分けていたのですね。

 

箸墓古墳周辺だけでも約30基ほどの古墳があります。一日かけてゆっくりと古墳巡りしたいですね。

 

行く古墳について調べてから行くのも楽しいですよ。

 

纒向遺跡と箸墓古墳を含むその周辺古墳からの出土品は、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館や桜井市立埋蔵文化センターなどで見ることができます。

 

古墳の成り立ちや歴史を知り、被葬者を想像しながらお散歩するのもオススメです。

少し足をのばして……

巻向駅のお隣にある柳本駅には柳本古墳群が、更にそのお隣の長柄駅には大和古墳群があります。

 

その中のオススメ古墳を一部ご紹介いたしますね。

 

・黒塚古墳(黒塚古墳)/最寄りは柳本駅

 

全長約130mの前方後円墳。34面の銅鏡が出土し、一枚を除く33枚が三角縁神獣鏡。三角縁神獣鏡といえば、卑弥呼の鏡といわれている銅鏡ですよ。

黒塚古墳展示館が隣接されており、復元された石室と出土した銅鏡や武具の複製品が展示されております。

 

・崇神天皇陵(すじんてんのうりょう)/最寄りは柳本駅

 

全長約242mの前方後円墳。被葬者は大和政権の初代大王といわれている崇神天皇です。宮内庁の調査では埴輪が出土されたとのこと。

 

・東殿塚古墳(ひがしとのづかこふん)/最寄りは長柄駅

 

全長約139mの前方後円墳。出土した円筒埴輪には船の絵が彫られているそう。この埴輪のレプリカは天理市トレイルセンターで見ることができます。

 

お時間のある方は少し足をのばして、古墳三昧をしてみてはいかがでしょうか。

箸墓古墳