“お城”と言えばコレ。どこかわかりますか?
お城巡り
城は、日本全国いたるところにあります。
しかも、小さなものから大きなものまで、形や特徴もバラエティーに富んでいるので、いろいろな楽しみ方ができます。ほんの少しの基礎知識と、城を見るとき、歩くときのちょっとしたコツさえ身につけてしまえば、あなたの前には無限の楽しみが広がるのです。
かくいう僕も、もう何十年も城歩きを続けていますが、一向に飽きることも尽きることもありません。
城めぐりは、まちがいなく一生モノの趣味なのです。それに、何といっても「歩く」わけですから、健康にもいいですよね!
さて、「写真1」は世界遺産にもなっている姫路城。多くの人は「お城」と言えば、この写真のような情景をイメージするでしょう。中には、「あ、姫路城だ」と口にした人もいるかもしれません。
でも、これは城ではありません。えっ!? どういうこと?
もう少し、正確に言い直しましょう。
これは、城そのものではないのです。この写真に写っているのは、姫路城の天守。
つまり、姫路城という城を形作っている、たくさんのパーツの一つにすぎないのです。
姫路城。たくさんの櫓や門、石垣や堀でできている。
姫路城
天守は、城の中心にある大切な施設で、城の「顔」とも言えます。でも、城そのものではありません。
城は、石垣や堀、櫓や城門、城主の住む御殿や、警備の侍たちが詰める番所といった、たくさんのパーツからできています。
それに、本物の天守が残っている城は、全国でたったの12か所。復元された天守もありますが、それらを含めても、天守のある城は日本全国の城のほんの一部にすぎません。
それなのに、天守を城だと思い込んでいたのでは、最初から「無限その楽しみ」を捨てるようなものです。
では、そもそも城とは何なのでしょうか? 城とはもともと、囲いや櫓によって敵を防ぐための施設を指す言葉です。考えてみれば、それはそうですよね。
攻めてくる敵がいないのなら、わざわざ手間ヒマかけて堀を掘ったり、石垣を高く積み上げたりする必要なんか、ありませんものね。
大坂城の石垣と堀。御殿や政庁だけなら、こんな厳重な構えはいらない。
大坂城
殿様のような偉い人が暮らすための御殿とか、政治を行うための役所だけなら、泥棒や不審者が入ってこないような塀で囲っておけば充分です。
今の日本だって、国会議事堂や都庁は、石垣や堀で囲まれていたりはしないでしょう?
あ、中には県庁や市役所が石垣や堀で囲まれている所もありますが、それはもともと城だった場所に県庁や市役所が建っているからですね。
もちろん、諸外国には政府機関がもっと厳重にフェンスや有刺鉄線で囲まれていて、銃を持った警察官が目を光らせている所もあります。
でも、そういう国は内戦があったり反政府ゲリラがいたりして、治安のよくない国。
つまり、攻めてくる敵がいるわけです。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡。堀や柵、櫓で防備された姿は城の源流といえる。
吉野ヶ里遺跡
日本における城の原形は、弥生時代に現れた環壕集落です。
これは、集落の全体を堀や柵で囲って、入口に門を構えたり要所に櫓を建てたりしたものです。佐賀県の吉野ヶ里遺跡が代表例ですね。
時が下って戦国時代ともなると、何ごとも武力で問題を解決する風潮となって、内戦や反乱がつづきました。
なので戦国時代には、土を掘ったり盛ったりして敵の侵入を防ぐようにした、実戦的な構えの城が、日本全国に何万箇所も築かれることになりました。
静岡県三島市の山中城。戦国時代には、このように土を掘ったり盛ったりした城が、日本全国に何万箇所も築かれた。
山中城
戦国時代の城には、建物は残っていません。
埋もれかけた堀や、崩れかけた土塁が残っているだけですが、最近はこうした「土の城」にハマる人が増えています。その人たちに何が面白いのか聞いてみると、同じような答えが返ってきます。
土の城の方が生々しいのだと。たしかに、大坂城や姫路城のような圧倒的なボリュームがない分、戦国時代の「土の城」の方が、弓矢や槍で戦う間合いみたいなものが実感できるのかもしれません。
やがて、全国に鉄砲が普及し、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康によって徐々に全国統一が進んでゆきます。
でも、統一が進むというのは、地域ごとのブロックが大きくなってゆくことですから、それにつれて戦争の規模も大きくなります。
その結果、城も大きく頑丈なものになってゆき、姫路城や大坂城・名古屋城のような形になったのです。
このように、城めぐりをしながら、いろいろな面白さに気づいて、城を好きになることができれば、城もあなたに、いろいろな表情を見せてくれるようになります。
さあ、あなたも無限の楽しみが待つ城めぐりに、出かけてみませんか!