しかし、速読能力を向上させる方法が学問的に確立していなかったので、「国語」のなかでもほかの教科の中でも、速読法を教えることができなかったわけです。
では、国語では私たちは何を学習してきたのでしょうか。
改めて振り返ってみると、漢字を覚えること、言葉を覚えること、文章の要旨や著者の主張を掴むこと、あらすじをまとめること、文法などが学習内容でした。
このことは、どの学年でも同じで、ただ学年が進むにつれて、教材に用いる文章が難しくなっていきました。
小学校のころは、学年毎に、あるいは低学年、中学年、高学年用の推薦図書があったことを覚えている方もおられると思います。
これらはすべて、正しく理解する能力を向上させるためのものであることは容易に納得できると思います。
現在の学校教育の基本的制度は、明治の初めに始まっています。
まだ文字を読めない国民がたくさんいた時代ですから、学校教育の目標は、まず国民全員が文字を読むことができ、文章を理解できるようになることでした。
ですから、文字や言葉を覚え、正しく理解する能力を養成するのが「国語」に課せられた目標だったのです。
この目標は見事に達成され、日本は世界一の識字率を誇る国になりました。
この高い識字率と理解力が基盤となって、その後の我が国の発展があったわけです。
高い国語力を持つことは、個人では有意義な人生のもとであり、国家としては、発展の礎なのです。
速く読むこともトライしてもらいましたが、そのとき、理解度が低下したのを覚えていると思います。
速く読めば読むほど、理解度は低下します。
この体験から分かるように、読書速度と理解度は、トレード・オフ(二律背反)の関係にあるとされています。
ですから、正しく理解することが目的の従来の教育では、速く読むことは、やってはいけない読み方だったのです。
しかし、現実には読みの速い方と遅い方がいます。
それは持って生まれた能力の違いと考えられ、読書能力そのものについての分析は、ほとんどなされてこなかったわけです。
では、速く読むことは本当に意味のないことなのでしょうか。
私が答えを出す前に、読者の皆さん自身で試してみてください。
このページで結構ですから、普通に理解して読んでください。
では、次に、感覚的に2倍の速度で読んでみてください。
理解度はいかがでしたか?
おそらく、トレード・オフの関係を再び実感できたことと思います。
では、今度は、普通に理解して読む速度より10パーセントだけ速く読むことをトライしてください。
いかがでしたか。
理解度は普通に読んだときとほとんど同じと感じたはずです。
しかし、少し変化したことがあるのも感じたのではないでしょうか。
そう、普通に読んだときよりも、集中して読んだと感じたと思います。
すなわち、集中して読むことで、速度と理解度のトレード・オフ関係から少し外れて、速く読むことができるのです。
このことは、読書能力を上げるためのヒントになりますね。
では、「速読脳開発プログラム」で読書能力を開発すると、この速度と理解度のトレード・オフ関係はどうなるのでしょうか。
答えは、「変化無し」です。
「えっ?速く読むと理解度が下がるのだったら、意味がないじゃない!」そうではありません。
たとえば、特に訓練していない人がいて、普通に理解して読む速度が、1000字/分だとします。この方が、2000字/分の速度で読む場合、内容の理解度は大きく低下し、読もうとしても拾い読み飛ばし読みになってしまうでしょう。
一方、「速読脳」を開発した人は、普通に理解して読む速度が、たとえば、1万字/分になっています。
速度と理解度のトレード・オフ関係は変わりませんから、この人が2万字/分で読むとすると、理解度は大幅に下がります。
「速読脳」を開発するということは、このように普通に理解して読む速度、つまりトレード・オフの基準速度を上げることなのです。