自分が行っている読書と比較して、信じられないと思うポイントは2つあると思われます。
ひとつは、自分は心の中で音声化して読んでいる、音声化しないと理解できない、音声化するとどんなに速く読んでも1ページ30秒位はかかる、という音声化して理解していることと比較した疑問です。
確かに、文字はもともと、音声を視覚的に見ることのできる記号にしたものですから、文字を読むときには、もとの音に戻して、理解するというのは、ごく自然なことです。
しかし、幼いとき文字を覚えてから、ずいぶん長い期間、文字を見て音に直す作業を行ってきました。
おそらく、一日も文字を読まない日はなかったはずです。
これだけ繰り返してきたからには、もうすでに、音声化せずに、理解する脳の回路は出来上がっているはずです。
ただ、日常、心の中で音声化していろいろ考えることをしていますから、そのことに気づきにくいだけなのです。
ぜひここで「自分には、もうすでに、心の中で音声化しなくても理解できる脳神経回路が発達している」と信じてみてください。
そうすれば、それだけで、音声化せずに理解できる部分が増えてきます。
逆に、「音声に転換しないと理解できない」と信じていると、すでに音声化せずに理解できる能力があるのに、それを無視することになり、音声化して理解する回路を強化することになってしまいます。
理解し、判断するために、必ずしも音声化する必要のないことは、車を運転しているときのことを考えるとよく分かります。
車を走らせているとき、その置かれた状況を理解し、判断しながら運転していますが、その理解し、判断した内容をいちいち音声に直していないはずです。
しかし、私たちは、状況を間違いなく判断し、適切な角度だけハンドルを切り、適切な加減でブレーキやアクセルを踏んでいます。
つまり音声化しなくても、正しく状況を理解し、判断し、選択するという高度な知的活動をすることができているのです。