図は、(独)情報通信研究機構の藤巻則夫先生との共同研究で測定した例です(論文名)。
通常、読みは左脳にあるブローカ野とウェルニッケ野の活動が関与しているとされていますので、ここでは、左脳の活動の測定例を示しました。
図5-Aは、速読のトレーニングをしていない人、図5-Bは、「速読脳開発プログラム」のトレーニングで「速読脳」を開発した人の測定例です。
病院でMRI診断を受けた方も多いと思いますが、この図は、研究用のMRI装置(fMRI)を用いて、測定したものです。
図の色の濃いところが、血流量が増えている部分で、脳の使われている部分を示しています。
図のAとBを比較すると、図Aでは使われているウェルニッケ野が図Bでは使われていないことが分かります。
ウェルニッケ野は、心の中での音声化に関わる部位とされていますから、この部位が使われていないということは、「速読脳」開発者が、音声化せずに読んでいることを示しているわけです。
「速読脳」の読書速度が信じられないと考えてしまう、もうひとつの理由は、理解の仕方が分からないというものです。
つまり、自分の理解の仕方に比べてあまりにも速く、そんな速さで理解できるわけがないという考えです。
この理由にも、同調できるものがあります。
しかし、逆にゆっくり読んだからよく理解できるわけではないということは、体験的に納得できるはずです。
あなたが普段読んでいる速度の半分の読書速度で読んでみてください。
とても読みづらく感じるはずです。
文章は、最後まで読んではじめてひとつの意味をなします。
特に日本語は、文末に「である」「でない」と文意を決定づける言葉が来るので、文末まで読み進むまでは、その前の文意は、記憶の倉庫に、ワーキング・メモリーとして、ペンディングになるわけです。
ゆっくり読むことは、その意味が決まらないペンディングになっている文を、そのまま記憶に長く止めておかなければならないことになります。
意味がはっきりして、印象深いものは記憶されやすいことは、記憶の原則としてよく知られているところです。
ですから、意味がペンディングのまま、必要以上に長く止めなければならない読書速度は、かえって読みづらく感じさせることになるのです。
実は、読書速度つまり理解速度は、私たち自身が持っている視覚機能と認知機能(理解機能)によって、自ずと決まるのです。
もし、読んでいる本の文字が小さく、行間も狭いと感じる視覚機能を持っているなら、読書速度も理解の程度も低いものになります。
しかし、優れた眼(視力とは異なる)を持っていて、読んでいる文字を見やすいと感じ、行の間隔も狭いと感じずに楽に読めるとすれば、読書速度は速く、理解度も高いものになります。
この例からわかるように、読書するための優れた眼が「速読眼」であり、「速読眼」を基に発達した理解能力が「速読脳」であるわけです。