【毎分10万文字・誰でもできる速読脳トレーニング】34.「速読脳」からプチ悟りへ

ここまで、「速読脳開発プログラム」のトレーニングで、健康力、集中力を始め、両眼で見る能力、イメージ力、記憶力、直観力など、人間として持っているいろいろな感覚と知覚機能、認知機能がレベルアップすることを解説してきました。
2020/04/27

「速読脳」開発が意味するもの

このような心の機能の変化は、考え方やものごとのとらえ方を変えることになります。

 

そして、これらの総合的変化として、考え方や生きる姿勢、価値観などの内面的変化をもたらし、その結果、仕事力も向上するわけです。

 

逆に言えば、多くの場合、このよう内面の変化がなければ、「速読脳」を開発することは困難ですし、その能力を現実生活上の力として発揮することは難しいのです。

 

武道を追求した武術家たちは、心技一体と言い、心のよりどころを禅に求めました。

 

現代のスポーツ選手も、身体技能を高めるフィジカルトレーニングを追求することと並行して、メンタルトレーニングを行っています。

 

フィジカルにメンタルがついてきて、はじめてフィジカルの壁を乗り越えられるとはよく言われることです。

 

このことは、茶道などの芸道でも同様に言われています。

 

もちろん「速読脳」の開発においても同じことがあてはまります。

 

「速読脳開発プログラム」では、見る力と読む力の限界を追求していくわけですが、精神面を整えることは、特に重要です。

 

なぜなら、「目は心の窓」と言われるとおり、「見る」は心の微妙な動きを直ちに反映しますし、「理解する」は心の動きそのものだからです。

 

ですから、心を整えることは、「速読脳開発プログラム」において重要なトレーニング要素です。

 

「速読脳開発プログラム」では、瞑想によって、「鎮まり」を育てていきます。

 

「鎮まり」とはあまり使わない言葉ですが、自らの心を落ち着かせ、邪念を払うという意味で用いています。

 

中国の古典「荘子」では、心を整えるという意味で、「斎心」という言葉が使われていますが、同様の意味と考えています。

 

しかし、「速読脳開発プログラム」を指導する講師が、特定の思想や考え方や価値観を強要することはありません。

 

そのような考え方などは、自ら学び考えたときに、はじめて身につくものですから、他者が強要することは意味がありません。

 

自ら学び考えるための方法として、読書は最高のものと言っていいと思います。

 

その読書の能力を高めるために「速読脳開発プログラム」はあるのですから、「速読脳」を開発して、たくさんの書物から学び、考える力を養い、自ら自分なりの考え方や価値観を確立してほしいというのが、「速読脳開発プログラム」の立場です。

 

また、自ら学び考える力を養うことは、主体的に生きる力を養うことです。

 

現代は、経済とビジネス中心の世の中で、無限と言っていいほどの、洗脳を目的として情報が飛び交っています。

 

「速読脳」を開発して、ひとつの説に対するたくさんの主張を知ることができるようになることは、その無限の情報のなかからより的確な情報を選択できるようになることです。

 

現代は、主体的に生きることがとても難しい時代ですが、そのなかで主体的に生き、より満足できる生き方を追求することが、「速読脳」によって可能になるのです。

 

言い換えれば、「速読脳」は幸せに生きるための基礎を作る道具と言えるでしょう。

「速読脳開発プログラム」によって養われる心の機能

⑴ 自信が生まれる

速読できると、本やメールを早く読めるから便利、時間を節約できて便利、資格試験の勉強も短い時間でできるから効率的と、多くの方は考えています。

 

これらのことは確かにその通りなのですが、それは表面的な見方です。

 

今までと同じ理解レベルで、かつ速く読めることは、自分の情報処理速度が速くなったということです。

 

自分自身の知的な処理能力が向上したと実感するようになります。

 

その結果、さまざまな情報や知識を獲得でき、それを駆使して、的確な判断を下すことができるようになりますから、頭が良くなったと感じます。

 

このとき、自分のなかに大きな自信が生まれるのです。

 

しかも、「速読脳」による情報処理速度(読書速度)を持っている人は、ほとんど周囲にいないはずです。

 

他の人と比較して勝っているからとの理由で得た自信は、もっと優れた人が現れると劣等感に変わってしまいますから、他の人と比較するのはお勧めできませんが、それほど大変稀な能力ということです。

 

比較しない自信は、リラックスして生きていくために不可欠な「根拠のない自信」です。

 

集中力のもとであり、安心して生きていくもとです。

 

「速読脳」は、この「根拠のない自信」を養ってくれます。

⑵ 集中力

「速読脳開発プログラム」が集中力を飛躍させることについては、すでに8章で説明しました。

 

つまり、意識の途切れのない深い集中が出来るようになると説明しました。

 

しかし、「速読脳」の集中力には、もうひとつ、他に類を見ない要素があります。

 

たとえば、キューリー夫人は、若い頃、勉強に集中すると、姉妹たちが周囲に椅子を積んでも気がつかなかったという有名な逸話があります。

 

この逸話は、キューリー夫人の集中力は大変深かったことを示しているわけで、それは素晴らしい集中力です。

 

しかし、周囲に気がつかなかったということは、視野の狭い範囲への集中であったことを意味しています。

 

狭い視野の集中というのは、中心視野で見ている集中です。中心視野で見ている対象は、はっきり見えていますから、集中しやすいのです。

 

一方、「速読脳開発プログラム」で開発するのは、広い視野の集中で、いわゆる周辺視野まで使う集中力です。

 

もちろん、ぼんやり見るのであれば、誰でも、今すぐ出来ます。

 

そうではなく、「速読脳」で開発するのは、その広い視野で文字を読み取り、文章の内容をきちんと理解することのできる、焦点の合った広い視野であり、集中力です。

 

実は、広い視野を使うことは、潜在意識を使うことです。

 

中心視野で見たものははっきり認識できますが、それは顕在意識と結びついているからです。

 

通常、私たちが何かを見ているとき、その周囲の周辺視野に映っているものは意識されていません。

 

文章を読んでいるときも、同様です。

 

しかし、見えていないわけではなく、無意識的に使っていて、周辺視野で何かが動くと、瞬時に、そこに中心視野を移動させます。

 

普段、無意識的に使っている周辺視野は、潜在意識が司っていると言えます。

 

周辺視野のなかに一点を定めることが難しいのは、このような理由によるわけです。

 

視野を広く使えるようになることは、潜在意識を活用できるようになることです。

 

集中するとき、潜在意識から集中すると、本気の深い集中ができます。何かを考えるとき、潜在意識から考えると、直観力が働き、創造的なアイデアがわきます。

 

何かを願うとき、潜在意識が活用されると、それは実際に実現します。

 

もし、広い視野を用いて洞察するなら、大いなる気づきが生まれ、プチ悟りにつながることができるのです。

⑶ とらわれない心を養う

たとえば、一冊の小説を10分で読み切ることを想像してみてください。

 

「速読脳」トレーニングでは、10分以内で読む練習を、さまざまな小説で繰り返します。

 

小説には、楽も苦も、善も悪も、泣きも笑いも、まさに悲喜こもごも、さまざまな人生や出来事が描かれています。

 

もし、悲しい場面を読んで、その内容に心が捕われてしまったら、そこで読書は進まなくなってしまいます。

 

途中で涙が流れて読書を中断してしまったという経験は、読書好きの方なら一度はあると思います。

 

「速読脳」が開発されると、右脳が活性化し、そこに描かれている場面のなかに入り込んだように、そのイメージがリアルに感じられるようになります。

 

それだけに、冷めた自分がいないと本の内容に振り回されてしまいます。

 

ですから「速読脳」読書では、仏様が極楽浄土から、衆生の生き様をながめるように、とらわれない心で、淡々と読み進めることが要求されます。

 

それができて、初めて「速読脳」読書が可能になるわけですから、「速読脳」を開発するトレーニングも、「速読脳」を用いた読書も、そのまま、とらわれない心を養うトレーニングになっているというわけです。

「速読脳」から幸せに生きるプチ悟りへ

 ⑴ 人間と社会をよりよく理解できる

「事実は小説より奇なり」と言いますが、事実すなわち現実世界で体験できることは限られています。やはり。

 

書物を読み、それを通して人間関係や社会の出来事を疑似体験して、広い世間を理解し、自分の世界を広げていくほかありません。

 

毎日新聞の読書調査によると、日本人が一生の間に読む本の数は、およそ500冊ということです。

 

「速読脳」が開発されると、1冊の本を30分以内で読み切ることができますから、一日に2冊、3冊は楽に読めてしまいます。

 

つまり、普通の人が、一生の間に読む500冊という本の数は、1年で読めるようになります。

 

もし、30年間1年に500冊読み続けたとすると、読書に関して言えば、普通の人が30回生まれ変わって読む分量を、今生で読んでしまうことになります。

 

もちろん疑似体験はあくまでも疑似体験で実際の体験とは違いますが、これだけの量の疑似体験とそれから得られる学びは、その人の価値観、ものの考え方を大きく進化させます。

 

釈迦の説いた「諸行無常」という教えも、きっと自然に、なるほどと思えるのではないでしょうか。

 

「速読脳」によって、大量の読書ができると、たくさんの人々について、心の動きや社会のなかでの行動など、さまざまな生き方を知ることができ、偏狭な考え方から脱することができます。

 

過去から学び、未来を見通した考え方ができるようになるといえます。

 

それは、読書を通して、ひとりの人間の、時間的に限られた一生を超えて、人間と社会についてのより普遍的な認識の獲得に近づくことを意味しています。

 

普遍的な認識を得ることによって、現実生活のなかで出会うさまざまな出来事にたいして、動揺せずに、人生を心穏やかに過ごすことができるようになります。

 

「速読脳」は、心穏やかに生きる力を養うと言っていいでしょう。

 ⑵ 「プチ悟り」を身につける 

あなたは良い本に出会ったとき、それを何度読むでしょうか。とても感動して、「これは良い本だ」と思っても、ほとんどの人は一度読んだらおしまいではないでしょうか。

 

私たちは、「この本は、こういう内容だ」という知識を得ることで、つい満足しがちです。

 

娯楽で読む本ならそれでいいでしょう。しかし、人生で求めるものがあり、その考え方を説く本に出会ったとしたら、それを一片の知識にしただけで終えるのは、たいへんもったいないことです。

 

私たちは、新しい言葉に出会ったとき、それを何度も繰り返し使って覚えます。

 

考え方も同様です。その考え方を身につけるには、繰り返しその本を読んで、その考え方を反復し、生き方を疑似体験することが必要です。

 

では、何回読めば自分の考えの一部として記憶にしっかり入り、行動に移せるほど身につけられるでしょうか。

 

1回2回では記憶に定着しませんから、身に付かないと思います。

 

さらに、新しい考えや、素晴らしい生き方であればあるほど、奥が深く、読むたびに新しい発見があるからです。

 

最低10回は読まないと、身に付かないと思います。

 

このように、読んだ本で自分を育てようと思うなら、本を繰り返し読むことは非常に重要です。

 

それを可能にするのが「速読脳」なのです。

 

とくに、悟りと言えるような考え方、価値観、感性は、多くの人にとって初めてのはずです。

 

ですから、繰り返し読んで深く理解し、頭に入れるだけでなく、行動していくなかで、折に触れて再読することが不可欠です。

 

そのためには、楽に短時間で読めなくてはなりません。

 

ですから、速読脳を開発することは、プチ悟りの入り口に立つ極めて有効な道なのです。