【マダム路子・自分史(第29話)】24歳の私が、ひとり泣いた理由とは。

山野の事業部が新宿東口の貸しビルで美容サロンをオープンした。それまでの銀座、中野、浅草のサロン土地もビルもすべて自社。新宿は初めての賃貸による経営で総店長を夫が担う事になった。
2020/11/23

2020年、20回目の引っ越し

長女も生まれていたので、最初に住んだ1DKの表参道の住いはあまりに狭いので、店舗に近い新宿に2DKの畳の部屋に引っ越し、新たな生活が始まっていた。

 

ある日、夫が「早急に5万円貸してくれないか」と言った後、かかってきた電話に応じ出かけてしまったと記したのが、前号までだった。

 

怒りの感情が爆発しそうな私の気持ちを書く予定でいたに、かくも遅れたのは、私の身辺に大きな変化があり書けなかった言い訳をこれから書きます。

 

連載を楽しみにして頂いているネットの愛読者と制作編集スタッフに心からお詫びします。

 

20回目の引っ越しから僅か1年4ヶ月しかたっていない令和2年10月23日に私たち再婚夫婦は21回目の引っ越しをした。

 

21回目には、山野家の嫁として引っ越しをした新宿時代も当然含まれている。

 

私の人生に起きる変化は住居を変える度に起こることが多い。

 

引っ越しをしたから運命が変化するのではない

 

むしろ、変化をもとめ新居に移住することもある。

 

さて、80歳になる私と現夫76歳の生活には現住居の環境の方が望ましいと、家族協議の結果での引っ越しだった。

 

引っ越し後1週間がたった頃、夫が高熱と全身痛、震えが止まらず会話もまともに交わせない症状に陥った。

 

夫には、糖尿病の持病があり、かかりつけの病院と大学病院にも通院していたが、移住した新たな場所からは遠い。

 

私は、この発熱は糖尿病による合併症ではないかと思ったが、保健所をネットで調べ緊急に家族に知らせた。

 

2日前に、手伝いにきてくれていた長女中原晴美が、気がつかないうちに自分が持ち込んだコロナ菌かもしれないと直ちに保健所に連絡。

 

迅速に保健所は検査を受け入れてくれた。

 

結果は2日後に連絡がありコロナ陰性だった。

 

娘も私も無事で胸をなでおろした。

 

娘は保健所に連絡と同時に家に近い糖尿病内科医院にも予約をいれてくれていた。

 

大学病院で受診していたカルテも取り寄せ診察を受けた。

 

私が予測したように、糖尿病の合併症による発熱と急激な血圧低下と判明。

 

適切な診断と処置により、合併症はおさまったが、著しい体力と気力の低下は否めない。

 

立ち居、振る舞いも弱々しく、私にすがるように立ち上がる。

 

夫が「オレ死ぬのかな」と言う。

 

私は「死なないわよ、私がついているじゃない」と明るく答える。

 

自分でも驚くくらい平静に優しい気持ちで言った。

 

夫は俳優と言う職業で人生を築いてきた。

 

日常は無口な方だがネクラではない。

 

どちらかと言えば陽気で茶目っ気のある性格だ。

 

だが、加齢と共に体調も芳しくなくなってきてから、渋面でいる日が多くなってきていた。

 

勘違いや、間違いを私のせいにしたりするので、私が反発すると、凄さまじい勢いで罵倒されたりする場も増えていた。

 

それがどうだろう、発熱騒ぎ後の夫は私の言う事に素直にうなずき、「ありがとう」とか「すまないね」の言葉が増えたのだ。

 

「どういたしまして」と答えるとニッコリ笑って私の顔を見る。

 

私が驚くほど優しくなれたのは、この笑顔のおかげだ。夫婦二人で暮らしていれば、どちらかが先に衰えれば世話や介助するのは当然だ。

 

私は夫より4歳年上だが持病もなく気力もある。

 

今後本格的な闘病生活、あるいは介護を必要とする状態になるかもしれない。

 

それなりの覚悟が必要だ。

 

夫の笑顔に笑顔でこたえながら、夫のどんな体調の変化にも動じず可能な限り優しくフォローしていこうと決意を固め覚悟した。

 

私が先に病で倒れるより世話をする側になれたのは幸せだ。

 

毎日、手をつなぎ短い散歩をするのも久しぶりなことだ。

 

不思議なほど安らかな夫婦生活の日々が始まった。

24歳で1児の母

さて、24歳で1児の母になった時代もどろう。

 

表参道の1DKから僅かに広い新宿に引っ越ししたが、住まいのグレードが高くなったわけではない。

 

しかし、グレードが高い夫の持ちものがあった。

 

それは車だ。

 

一台はボディラインの美しい年代もののジャガー。

 

町中で駐車していると、常に何人もの人が立ち止まって眺められることが多いハイソな車。

 

もう1台は、妊娠中の私の体に良くないと父が買ってくれた赤いいすゞ「ベレット」。

 

その車をあろうことかスポーツカ―仕立てに改造してしまったのだ。

 

私に相談すれば反対されると断りなく実行した。

 

夫の車に対する愛着は私の理解を超えていた。

 

燃費や改造費にも、馬鹿にならない費用がかかる。

 

セレブとは程遠い住まいに、セレブ級の車が2台。

 

生活に支障がなければ、我慢も致し方ないと妥協する気はあったが、家賃もかかれば子育て費用もかかる。

 

車をめぐる夫婦のいさかいは定番になっていた。

「早急に5万円貸して」と言いながら必要目的を明らかにしない夫。

 

私は車に関する費用だと推測したが、夫は答えずジャガーの爆音をたてながら畳み二間の家に娘と私を置いて出ていってしまった。

 

私には、妊娠中テレビ出演、雑誌などのメディア活動は、産後の私の変化に興味が持たれるのか、依頼は継続され多少の収入はあった。

 

その収入も家計の助けにしているのに、早急に5万円貸してくれとは、あまりにも身勝手な言い草だ。

 

私への世間の見方と現実の違いを悟られないように行動しているのは、夫婦の尊厳を失いたくないからだ。

 

山野と品川両家に対しても私たちの結婚は間違いだったとは言えない。

 

両家を結ぶ孫も誕生した。

 

私は娘を抱きしめながらひとり泣いた。